「うつ」っていろいろ考えちゃう!

回復傾向にあるうつ病患者「ぽん」の あれやこれやなんやかんや

「死」から三つ、離れて座る。③

 

「死」は、私の頭の中に座っていました。

 

今までは「いる」とは知っていたけれど、

こんなに近くにいるとは思っていませんでした。

 

 

簡単に側に行けるように思いました。。

ちょっと躊躇するけど、行こうと思えば行けるのではと。

 

怖いような、気をひくような、もやもやしたよく分からない姿です。

 

 

 

 

 

私は私の家族が好きです。周囲の人が好きです。

 

でも、この時は確かに、私は私を消したかった。

「死」の側に行けば、私の家族や周囲の人たちは、

私が近くに座っていても気づかなくなります。

「死」の側には、もしかしたら私より先に座った誰かがいてくれて、

「あ、来たんだ」

なんて、ひょいと顔を見せるかもしれません。

 

 

でも、私は「死」の側には座りませんでした。

限りなく近い、存在を意識出来る、

三つくらい離れたあたりに座りました。

 

「死」は私の理想の姿ではなかったからです。

 

私の望みは、「私が初めから存在しなかった」ことになることでした。

 

「死」は私のものがその場に少し残ってしまいます。

 

それは私の望んだ形ではありません。

 

「消滅」したかったんです。

 

こんなに大事な人々の近くにいるのが、

「私」であるのが申し訳なかった。

 

私のものが少しでも残ってしまったら、

大事な人たちは悲しむ。

優しいから。

 

 

ただそれだけです。

私が「死」の隣を選ばなかったのは。

 

 

もしあの時、「消滅」がそこにいて、

私の方をちらりと見たら、

ちょっとだけ寄っていったかもしれません。

少なくとも「死」よりは近く。

 

 

 

 

 

 

今でこそ、こうして私は私の「死」を語っています。

でも、これはとても無礼なことです。

「死」にも「生」にも。

ありとあらゆるものに、人に、謝っても謝りきれないくらい無礼な行いです。

 

今、「死」が側にいることに気づいてしまった人は、

それよりもっと、「生」が近くにいることに気づいてあげてください。

 

「死」に近づけば近づくほど、

必死になってあなたの足にしがみついているかもしれません。

気付いて、と

「死」の存在感に目を奪われているあなたに

張り付く小さくて可愛い、時々うっとうしく思うけど、

憎めない「生」がくっついています。

 

 

あなたが「死」の隣に座るのは、

あなたの「生」が「死」と打ち解けて仲良くなってからでいいんです。

「生」と「死」はちゃんと、あなたを間に挟んで座ってくれるでしょう。

 

 

 

最後に、

 

「死」にも「生」にも様々な形があります。

よりによって私のそばにいるのがこんな姿の「死」なのか、

と思うかもしれません。

あなたがそう思わなくても、

あなたの周囲の人々がそうやって「死」を睨むようになるかもしれません。

 

 

あくまで私がここで語った私の「死」はこういう姿だった、

というだけです。

 

どの「死」も私は「死」だと思うし、

「生」はどんな姿でも「生」だと思います。

 

私を腹立たしく感じた方は当然いると思います。

仕方ないと思います。

 

でも、それでも、私はこの事を誰かに伝えておきたいのです。

 

あの時の私がどれだけ汚いか、

 

今の私がどれだけ無礼なのかを。